(4)江戸時代の成人男性の名前

(1) そもそも名前とは何か

  次は、大人の名前を見てみましょう。父親たちの名前も[郎]が多いのでしょうか。ただ明治維新以前の大人の名前には少しやっかいな問題があります。それは、名前を変えることができたということです。たとえば「源義経」には「牛若丸」「九郎」「判官」などの呼び名もあります。

 特に、「子どものときに名前=童名」と「成人名」とがありました。

 坂田聡(2006)『苗字と名前の歴史』吉川弘文館には「人名の変化」について次のように書かれています。

  中世、特に戦国時代の村人(男性)たちは、ひとりひとりが複数の名前を持ち、成長して通過儀式を経るたびごとに名前を変えたり、あるいはケース・バイ・ケースで、いくつかの名前を使い分けたりしていた。もう少し具体的に述べると、彼らの多くは

    (1)少年時代の童名 

  (2)「烏帽子成り」の儀式により若衆となったときに名のる成人名

    (3)「官途成り」儀式を済ませて老衆の仲間入りをした時に名乗る官途名

    (4)「入道成り」を遂げて出家した人物の名前である法名

の順で、名前を変えた。(坂田2006:p.17)

 

 ただ庶民の場合は、それほど頻繁に名前を変えたわけではありません。寅さんは「姓は車、名は寅次郎」と名乗りますが、ふだんは「寅さん」と呼ばれています。江戸時代も、庶民は同様でした。いずれにしても「統計数値」だけをもとに、庶民の名前史を追ってみたいと思います。

 

(2) 江戸時代の大人の男性名は?

  江戸時代の男の子の名前には、一貫して「[郎]のつく名前」が30〜40%ありました。大人の名前はどうでしょう。

 紀伊粉河荘東村の『名つけ帳』の最初の部分を、もう一度見てみましょう。この中の父親名を抜き出してみましょう。

 

  三太夫 左衛門三 谷彦三 次郎 さ衛門太 

      衛門太夫 九 孫次郎  兵衞次 兵衞次 三 

      孫四 兵衞次 さ衛門太郎   菊里 左衛門次

  兵衞次 左衛門三 二 三 兵衛門二 

      右馬三 左衛門二

 

 24人の父親名のうち、[郎]がついていないのは2人しかいません。どうしてこんなに[郎]が多いのでしょう。『名つけ帳』に乗っている1120人全員の父親名のうち[ー郎]がどのくらいいるでしょう。グラフにしてみました。

  なんと[郎]が多いことでしょう。特に1500年代は80%ほど[ー郎]がいます。時代を追うごとに[ー郎]の割合が減っています。

 

  (3) 他の地域の成人男性名にも[ー郎]が多いのだろうか。

 『宗門改帳』で、成人男子名を見てみましょう。やはり[ー郎]は多いでしょうか。

 下のグラフは5冊の『宗門改帳』から数値を出したものです。さてどうでしょう。

  やはり[ー郎]は多いのです。しかも江戸時代後半になると減っていきます。これはいったいどういうことなのでしょう。

 1500年より前の[ー郎]は多かったのでしょうか。いったい[ー郎]はいつから始まったのでしょう。

疑問が深まるばかりです。

 

(4) [〜門][〜衛]という名前について

  次に行く前にもう一度、『名つけ帳』の最初の部分を見て見ましょう。

 

太夫 左衛門 谷彦三 次郎 さ衛門 

      衛門太夫 九 孫次郎  兵衞 兵衞 三 

      孫四 兵衞 さ衛門郎   菊里 左衛門

  兵衞 左衛門 二 三 兵衛門 

      右馬 左衛門

 

 22名の男性名のうち[〜衛門]が8名、[〜兵衛]が4名います。これらは「官職名」です。[太夫][右馬]も同様です。その「官職名」は、古代律令制度に基づく、役人の名前につけられたです。今でいえば、「部長/室長/課長」のようなものです。

「紀伊粉河荘東村の村民名にどうして「官職名」が多いのでしょうか。

 それは、成人して[官途成り]を迎えた男子がつけた名前です。そうした官職名は「村の鎮守の祭祀組織として宮座の場において、[官途成り]という儀式を行うことにより、老衆(おとなしゅう)に列せられた者に与えられた名前」(坂田2006:p.71)です。

 下のグラフは、「官職名」のうち[衛門]か[兵衛]がつく名前の割合をグラフにしたものです。(注:[衛門][兵衛]がつく名前の名前には、同時に[--郎]もつく名前もある。例えば、上の「左衛門三郎」のように。それは、上のグラフと下のグラフとを見比べるとわかるでしょう)

 子どもの名前にも[衛門][兵衛]がないわけではありません。右のグラフは「名つけ帳]から[衛門][兵衛]のつく男子名を拾い出したものです。

   1111名の男子のうち、[衛門][兵衛]がついていたのは34名だけです。しかも江戸後半だけです。

 もともと[衛門][兵衛]は成人後につけていたのが、江戸後半には生まれてすぐにもつけられるようになったのでしょう。が、それはごく少数で「例外的」と言っていいでしょう。

 

 このように「名つけ帳」では、[衛門][兵衛]などの「官職名」は、多くの成人男性につけられていたのです。

 

 それでは、他の地域でも同様であったでしょうか。下は5冊の『宗門改帳』から[衛門][兵衛]のつく名前の割合を拾い出したものです。

 やはり、1510年から江戸期には40%ほどは[衛門][兵衛]が名前についています。成人して「官職名」をつけるのは一般的だったのです。

 

「名つけ帳」と「宗門改帳面」から男子名における[衛門]+[兵衛]の割合


「宗門改帳」は以下の通りです。

・「岐阜県川辺町(*1)」 1671①, 1774③,  

・「神奈川県伊勢原市(*2)」1804

・「愛知県岡崎市旧八町村(*3)」1733②

・「  ゝ   旧土呂村(*4)」1787

 

*1 『川辺町史 資料編 上巻』(1984)「188栃井村宗旨改帳」「190下川辺村宗門人別改帳」PP.803-899 (インターネットで閲覧可)

*2 神崎彰利編(1995)『堀江文書 第2巻中・近世(1)』PP.446-456小森書房、現在の伊勢原市西富岡,堀江家に残された文書

*3   『新編 岡崎市史 史料近世上』(1983)「155 八町村宗門改帳」 PP.804-820 (旧八町村は、現在の八帖町あたり、八丁味噌で有名)

*4             ゝ             「156 土呂村宗門改井五人組帳」PP.820-843(旧土呂村は、現在のJR岡崎駅の南)


⤵️ つづき 「(5)  中世の男性名」へ

 

⤵️ 一つ前に戻る 「(3)  江戸時代の男の子の名前」へ

 

 

⤵️ 表紙「男性名と[郎]」に戻る

 

⤵️ ホームに戻る