(2) 越中、滑川宿

(2-1)富山駅から電車で

 ホタルイカで有名な滑川市は、富山県の東部の都市です。富山駅から「滑川駅」まで15分です。その駅前に、旧滑川宿が広がっています。江戸時代は、北陸街道の宿場町であり、米を送り出す港町でもありました。

 滑川市立博物館に「天明3年滑川町惣絵図(富山市田村逸氏所蔵)」という展示物があります。そこrには、1783年の「滑川宿」の全家屋と家長名が記されています。そのすべてを打ち込んでみました。そこには、729軒の家長名(男性名)が記されています。

 それらの名前がどんな言葉で終わっているかで分類してみると、次のようになります。

[滑川町1783年,729名の男性名分類]

[名前の語尾]

人数

割合

(例)

 

名前の文字数

人数

割合

〜衛門

266

36.5%

五右衛門、弥左衛門

 

2文字

124

17.0%

〜兵衛

193

26.5%

加兵衛、弥次兵衛

 

3文字

294

40.3%

〜郎

130

17.8%

吉三郎、次郎三郎

 

4文字

274

37.6%

〜助

50

6.9%

伝助、与助

 

5文字

37

5.1%

〜六、七、八

40

5.5%

甚六、権七、宗八

 

729

100%

〜蔵

8

1.1%

三蔵

 

 

 

 

〜内

4

0.5%

久内 

 

 

 

 

〜太夫

3

0.4%

久太夫

 

 

 

 

〜丞

7

1.0%

作之丞

 

 

 

 

その他

28

3.8%

甚、五平次

 

 

 

 

合計

729

100%

 

 

 

 

 

 

 滑川町の[衛門][兵衛][郎]がつく名前は、全国的に見て多いのでしょうか。少ないのでしょうか。

 滑川宿の名前のうち

[〜郎]→17.8%、 [〜衛門]→36.5%、 [〜兵衛]→26.5%

を、以前掲げたグラフ(→江戸時代の男性名)に書き加えると、下のようになります。グラフの中の水色は

 紀伊粉河荘東村の『名つけ帳』(現、和歌山県)

青色は『宗門改帳』です。それらの現在の住所は

1,3岐阜県川辺町 2,4愛知県岡崎市 5神奈川県伊勢原市 

 



 恐ろしいほど「一致した」と思うのですが、いかがでしょう。現在の都道府県でいえば、和歌山県、岐阜県、神奈川県、そして富山県の数値が一致するのです。

 これは偶然でしょうか。

 もし偶然でないのなら、日本の江戸期がいかに画一だったかがわかるのではないでしょうか。

 

右は、江戸後期の「滑川宿」の商売の様子を表したものです。

 これらの多くは、代々受け継がれていき、同時に名前(屋号)も受け継がれたことでしょう。

 

 東京の西新井には「山崎甚右衛門商店」という豆大福で有名なお菓子やがあります。永禄3(1560)年で、現在は15代目が後を継いでいます。京都には「八代目儀兵衛」という米を中心にするお店があり、社長は自ら「八代目儀兵衛」を名乗っています。東京のおみやげとして有名な「栄太楼飴」も、創業者が「栄太郎」という名前だったので、その名が今も受け継がれています。

 

 そんな名前が受け継がれることは、中世後期に始まりました。そんな村の様子を、坂田(2000)は、次のように書いています。(→中世の成人男性名

 

 中世後期に形成された新しい村は、先祖代々永続する家を単位とする組織であり、この家の成立を物語るものが、官途名をはじめとした人名の家名化だった。(坂田2000:p.42)

 

 近世・江戸後期の場合はどうでしょう。男性名は「郎が20%」「衛門+兵衛が60%」というのは、どこまで一般的なのでしょう。他の資料も当たってみることにします。

[1813,「散小物成御役銀書上帳」より]

   『滑川市史 通史編』(滑川市史編纂委員会1985)p.119より

 

滑川宿の商売

軒数

小間物屋

46軒

古手屋

33軒

豆腐屋

17軒

味噌醤油屋

19軒

油振売

16軒

塩小売

 9軒

その他

111軒

小計

251軒

宿駅に伴う商売(宿屋)

22軒