[4] 初めての[◯子]さん  歴代天皇の母親名

 下の表をみてください。「歴代天皇の母親名」です。黄色は[子]のつく名前です。

 これを見ると、52代嵯峨天皇より前は、[子]のつかない名前もありますが、それ以降はすべて[子]のつく名前です。皇族の女性には[子]が必ずついているのです。実は皇族の女性名に「[子]のつく名前を定着させた」のは、嵯峨天皇なのです。

 嵯峨天皇が女性名の大変革をしたことは、渡辺三男(注1)『日本の人名』(1967毎日新聞社)にくわしく書かれています。

 右の表を見てください。嵯峨天皇の50名の子どもたちの名前です。これを見ると、[内親王]の名前にはすべて[子]がついています。それに対して[臣籍降下]した皇女子は、[姫]をつけ差別化しています。

 

 嵯峨天皇といえば、都を平安京に移した桓武天皇の子どもで、平安京の安定を築いた人です。橋本淳治氏(注2)は「嵯峨天皇は奈良の寺院の力を断ち切ろうと、今までの慣習を改める努力をした。[子]のつく名前の開始は、奈良との関係を断つための一つの手段ではないか」と言っています。

 平安京は、明治維新までの1100年間、都であり続けます。その礎を築いたのは嵯峨天皇です。

 また「源氏」の始まりも嵯峨天皇です。300年後に「源平の合戦」が繰り広げられますが、その源流は、この嵯峨天皇の子どもたちです。「平氏」も頃同じくして生まれます。藤原氏全盛の平安時代から、武士の世の中に移り変わる流れも、実は嵯峨天皇から始まっているのです。

 

(注1:渡辺三男(1908-)駒澤大学名誉教授、平安朝文学史)

(注2:橋本淳司『子のつく名前の誕生』仮説社2011の共著者)

 

(追記)

 男性名も見てください。[親王]は2字名4音節、[臣籍降下皇男子]は1字名3音節です。男子の1字名もここに始まるのです(13源融は光源氏のモデルと言われる)。このように嵯峨天皇がいかに合理的だったかがこの表で見て取れます。あるいは50人もいる自分の子どもの判別のためだったのかもしれません。いかがでしょうか。

 

[6] 庶民の女性名は?

 それでは、庶民の場合はどうでしょう。明治維新頃の女性名を見てみましょう。(続く)